F1とは、歴史や始まりを紹介【車の原点に迫る・伝説が始まった!】




昔からよく見てましたよ、歴史はどのくらいあるのか知らないんですけど。

F1グランプリ。

F1とは何の略なんでしょう?

あ・・・もしかして?

何がきっかけで始まったんでしょうか。

どこの国で始まったんでしょうか。

F1のテーマを聞くと、ぞくぞくしますね。

F1とは男の子の憧れでしたよね?

今でも息子は鈴鹿サーキットに行ったりしてますから、やっぱり男の子の胸は躍るんでしょうね。

歴史も調べてみますが、自動車の歴史が高々100年くらいなんだから、それよりは新しいと言うことで、日本の高度成長期あたりでしょうかね。

今私の頭の中ではテーマが鳴り響いていますよ。

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F1とは?

歴史

F1(Formula1)は自動車レースの規格(=Formula)のことで、1947年に国際自動車連盟(FIA)によって制定されました。

このF1の規定で行われる世界選手権のタイトルレースがF1グランプリ。

第1回のF1世界選手権は1950年5月13日、イギリスのシルバーストーンで開催されています。

現在は年間16~19戦。

世界中を転戦する形で行われています。

また、世界中のスポーツイベントの中で、オリンピック・ワールドカップサッカーに次ぐ規模のテレビ観戦者がいると発表されています。

チャンピオンシップ

レースごとの上位10名にポイントが与えられ、その合計でチャンピオンを決定します。

ポイントは次の通り。

また、チャンピオンシップはドライバーに対して行われる「ドライバーズチャンピオン」とチーム(製造者)に対して行われる「コンストラクターズチャンピオン」の2つがあります。

参加しているチームは?

現在のF1チーム(コンストラクター)は11チーム。

もともとF1の為に自動車メーカーを作ったフェラーリ、F1の為に生まれたチーム(マクラーレン、ウィリアムズ、レッドブル、トロ・ロッソ、フォースインディア、ザウバー)、自動車メーカーのチーム(メルセデス、ルノー)と性格はさまざまです。

今シーズンはこれらに加えカンポス、ロータス、USF1、ヴァージンの4チームが新規参戦。

13チームがしのぎを削ります。

参加資金はトップチームで年間3億ドル~4億ドル(330億円~)、下位チームでも5000万ドルと言われ、莫大な経費が掛かる世界的なスポーツと言えるでしょう。

また、1チームにトップチームで現場スタッフ約60名、ファクトリー(工場)などのスタッフを入れると600名と非常にたくさんの人が関わっています。

F1ドライバーってどんな人?

F1ドライバーはレギュラーで12チーム×2名のわずか24名。

テストドライバーと言われるマシンテストを行うドライバーを入れても35名ほどしか世界に居ません。

レースに参加するには「スーパーライセンス」という世界最高のライセンスが必要とされます

このライセンスにはそれまでのカテゴリー(レース規格)でチャンピオンクラスの成績が必要と決められており、世界中の自動車レースのピラミッドを登り詰めた本当に一握りのメンバーの巳がF1レースで戦うことを許されるのです。

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日本では・・・

日本では秋(例年10月)に「日本グランプリ」が行われています。

1987年から20年以上三重県の鈴鹿サーキットで行われています。

1970年代、2000年代に静岡の富士スピードウェイで2回ずつ、90年代にTIサーキット英田(岡山)で2回それぞれレースが行われたことがありました。

また、ホンダ・トヨタといったメーカーも参戦しました。

バブル期にはたくさんの日本のスポンサーが資金を投じ宣伝塔として利用し、潤沢な資金を元にチームを買収する日本のメーカーもありましたが、バブル以後は技術的サポートを伴うスポンサードを行うことが多くなっています。

06年には元ドライバーの鈴木亜久里が「スーパーアグリ」を立ち上げ。

全くの新チーム立ち上げ、そして純国産チームという史上初ともいえる試みに注目が集まりましたが、2年半を待たずに資金難に陥り撤退。

ホンダ、トヨタも金融危機以降本社の経営難から撤退してしまいました。

ドライバーとしては、1975年に鮒子田寛(ふしだひろし)が初挑戦(オランダGP,決勝は出走せず)。

次いで76年、77年には富士で行われたF1・イン・ジャパンには長谷見昌弘、星野一義、高原敬武、高橋国光、桑島正美がスポット参戦しました。

1987年から(レギュラードライバーとして)9人が参戦。

89年には中嶋悟が雨のオーストラリアGPでファステストラップを記録。

90年の日本GPでは鈴木亜久里が日本人初表彰台を記録しています。

しかし、それ以後は下位チームからの参戦が続き、成績が残せないまま99年を最後に2シーズンの間日本人ドライバー不在の時代となります。

沈黙を破って2002年シーズンには、イギリスF3でチャンピオンになった佐藤琢磨がデビュー。

2004年は日本人として初めてフロントロウを獲得、3位表彰台にも上がるなど、ランキング8位の大活躍を見せました。

05年は1ポイントと振るわなかったものの、06年は純日本チームスーパーアグリに移籍、07年には資金難のチームながらトップチームと渡り合う活躍を見せる場面もありましたが、08年のチーム撤退と共にシートを失いました。

スーパーアグリからは井出有治、山本左近もデビュー。

初参戦チームという苦しい状況の中でのデビューとなり、ポイントは獲得できませんでしたが、山本は07年もシーズン途中からスパイカー(現フォースインディア)より参戦しました。

また、トヨタは新人育成を行っており、参戦中には中嶋悟の息子、中嶋一貴がトヨタの支援を得てウィリアムズから参戦しました。

09年シーズン末にはトヨタから育成下の小林可夢偉が代役として参戦、チーム撤退後もその活躍が他チームの目に留まりザウバーからフル参戦を決めました。

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