歌舞伎の歴史を紹介!歌舞伎の屋号の意味や格は・・・




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私、歌舞伎にはとんと縁がございません。

子供の頃は宝塚にはハマって、通い倒しましたが・・・。

なので、歌舞伎歴史とかは、歴史の時間に習った程度。

屋号なんて何であんなの叫んでいるのかは存じません。

歌舞伎歴史屋号の意味。

調べてみたいと思います。

いよっ!成田屋!!!

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歌舞伎の語源

【歌舞伎】はカブく=「傾く」から生まれた言葉です。

日常生活には見られない異様な振る舞いや、装いを「カブキ」と呼び、その振る舞いや装いをする人物を「カブキ者」と言ったところに由来しています。

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ここから16世紀(安土桃山時代)当時若者の中には奇抜な服装や髪型をして、周囲を驚かせるやんちゃ者が居ましたが、彼らは「カブキ者」と呼ばれました。

近年、【歌舞伎】の醍醐味はケレン味のある演出・・・と言われるのはこうした背景があるからです。

 ※ケレン=「外道」

大道具・小道具のし掛けやからくりを駆使した見た目本位の演技・演出のことで、「宙乗り・引き抜き・早変わり・・」等、様々な技法があり、観客の意表を突きますが、内容に乏しいといった観点から、一時期正当な芸風ではないと、邪道扱いされていました。

しかし、最近の歌舞伎ブームの中では、変化に富んだ演出として評価されています。

【歌舞伎】文字そのものは当て字ですが、意味合いは「歌い、舞う、伎」といえます。(伎=技芸や芸人のこと)

当初は意味合いからも推察できるように、「伎」ではなく芸妓・舞妓などに用いられる「妓」の字があてがわれていました。

明治期以降になって現在の表記【歌舞伎】に統一されたと言われています。

歌舞伎の歴史

歌舞伎の始まり

歌舞伎の発祥は出雲の阿国(いずものおくに)という女性が1598年(慶長3年)に「ややこ踊り」という子供の踊りを披露して人気を得たことから始まりました。

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しかし、阿国が年頃になって「ややこ踊り」が踊れなくなったため1603年の北野天満宮興行の祈り、「歌舞伎踊り」と改名したところから、~歌舞伎~の名が用いられるようになったと言われています。

阿国は出雲大社の巫女だったとも河原者であったとも言われていますが、定かなことは不明です。

「歌舞伎」は~傾く(かぶく)~という言葉から来ていることは「歌舞伎の語源」で記述しましたが、阿国はその時代の流行・風俗に合わせた派手な着物、男髷、首から十字架、長刀といった所謂「男装の麗人」と言ったスタイルで、茶屋の女と戯れる踊りを披露して、当時の最先端の演芸を生み出しました。

またこの頃。能舞台などが舞台として使われた名残として、花道が作られ、下手側が本花道/上手側が仮花道とされたと考えられています。

女歌舞伎・若衆歌舞伎

阿国が評判になると多くの模倣者が現れました。

当初はカブキが「歌舞伎」と書かれたように、女性のみによって行われていました。

しかし、彼女たちが遊女のような行為をしたため、風紀を乱すとして、幕府の取り締まりにあい、「遊女歌舞伎(女歌舞伎)」は1629年禁止されてしまいます。

変わって登場したのが、前髪を剃り落としてない、少年が演じる「若衆歌舞伎」です。

ところがこの時代は「衆道」(男性同士の恋愛)が盛んな時代で、役者を巡るトラブルが多発したり、売色の目的を兼ねる歌舞伎集団が横行したために1652年こちらも幕府から禁止されてしまいます。

そこで、若集の色気が無ければ・・・と前髪(若集の象徴)を剃り落とした成人の髪型(野郎頭)で舞台を務める「野郎歌舞伎」が登場し、歌舞伎の原型になったと言われています。

こうした経緯から歌舞伎においては、男性役も女性役もすべて男優が演じることになり、男性ながら女性役を務める「女形」が存在するようになりました。

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歌舞伎俳優の屋号

歌舞伎俳優が舞台や花道に登場した際、あるいはその演技の要所要所で、客席から「◯◯屋」との掛け声がかかる。

これが役者の屋号で、歌舞伎俳優と観客を密接に結びつける要素の一つになっている。

その主なものと由来は次のとおりです。

音羽屋(おとわや)

尾上(おのえ)菊五郎系の屋号で、菊五郎・梅幸・松緑・坂東(ばんどう)・彦三郎ら、初世の父が芝居茶屋の出方(でかた)(従業員)で、音羽屋半平といったところから来ている。

澤瀉屋(おもだかや)

市川猿之助・段四郎ら、市川流の荒事(あらごと)「草摺引(くさずりびき)の曽我(そが)の五郎が持つ鎧(よろい)の紋に寄るものと言われる。

河内屋(かわちや)

實川延若(じつかわえんじゃく、初世が大坂道頓堀(どうとんぼり)の茶屋河内屋の養子だったことによる。

紀伊国屋(きのくにや)

沢村宗次郎・田之助・藤十郎ら初世の出身地に寄るものだと言われるが、はっきりした由来は不明である。

喜乃字屋(きのじや)

守田勘弥家、8世の俳名、喜幸からでたものと言われる。

勘弥は森田座(守田座)の座元。

高麗屋(こうらいや)

松本幸四郎・市川染五郎ら、由来は不明。

初世幸四郎は大和屋(やまとや)と言い、2世からこの屋号を名乗る。

高島屋(たかしまや)

市川左団次・小団次系統の屋号。

4性小団次の父が市村座の火縄売りで、高島屋を名乗っていたのによる。

橘家(たちばなや)

市川羽左衛門(うざえもん)家、羽左衛門・家橘(かきつ)ら、羽左衛門は市村座の座元で、その定紋が橘なのでこの名が出来た。

中村屋(なかむらや)

中村勘三郎家、勘三郎・勘九朗ら、勘三郎の名は江戸歌舞伎最古の家柄で、中村座の座元であった。

出身地にもちなんで中村姓を名乗り、初めは柏屋(かしわや)と言ったが、のち芸名の姓を屋号としたもの。

成駒屋(なりこまや)

中村歌右衛門(うたえもん)・芝翫(しかん)・福助・鴈治郎(がんじろう)・扇雀(せんじゃく)ら、歌右衛門は初世・3世は出身地にちなんで加賀屋(かがや)と言ったが、(2世は蛭子屋(えびすや))。

初世が4姓団十郎と義兄弟の縁を結び、将棋の駒の衣装を贈られたので、それにちなんで4世から成駒屋を名乗るようになった。

成田屋(なりたや)

市川団十郎・海老蔵・新之助ら、初世団十郎が成田不動を信仰し、その御利益(ごりやく)で名を高めたのを記念して屋号とした。

播磨屋(はりまや)

中村吉右衛門(きちえもん)・又五郎(またごろう)ら、先祖が大坂三井家の番頭を務め、播磨屋作兵衛といったことによる。

松島屋(まつしまや)

片岡仁左衛門(にざえもん)・我童(がどう)・我當(がとう)・市蔵・芦燕(ろえん)ら、由来は不明。

三河屋(みかわや)

市川団蔵・銀之助・市川団蔵系の屋号で、初世団蔵の出身地から出たもの。

山崎屋(やまざきや)

河原崎権十郎(ごんじゅうろう)・国太郎ら、江戸・河原崎屋の座元だった初世河原崎権之介の出身地京都、山崎にちなむ。

大和屋(やまとや)

坂東三津五郎家、簑助(みのすけ)・秀調(しゅうちょう)・玉三郎、岩井半四郎ら、三津五郎系は初世の養父の父が大和屋又八と言ったところから来ている。

半四郎系は初め雑司谷屋と言ったが、4世が2世幸四郎の門弟だったので、幸四郎の屋号、大和屋を譲られたという。

萬屋(よろずや)

中村歌六(かろく)・時蔵・歌昇・錦之助ら、3世歌六の妻が市村座の芝居茶屋萬屋の娘だったことによる。

そのほか、明石家(あかしや)(大谷友右衛門)、岡島屋(嵐吉三郎(きちざぶろう))、加賀屋(中村魁春・東蔵・松江)、京扇屋(きょうせんや)(中村梅花)、京屋(中村雀右衛門(じゃくえもん)、芝雀(しばじゃく))、栄屋(さかいや)(中村仲蔵)、高砂屋(中村梅玉)、滝野屋(市川門之助・新車)、立花屋(市川八百蔵(やおぞう)、豊島屋(てしまや)(嵐芳三郎)、天王寺屋(中村富十郎)、舞鶴(まいづる)屋(中村勘五郎・鶴蔵)、,美吉屋(みよしや)(上村吉弥)、山城屋(坂田藤十郎)、吉田家(嵐雛助(ひなすけ))、などがある。

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