高校野球 甲子園の始まり由来は、どうして甲子園?




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夏といえば甲子園

どうして高校野球甲子園って決まってるんでしょう?

そして甲子園で行われる高校野球由来はどこにあるのでしょうか?

いつから始まってるんでしょうか。

割りと知らなくて見てますよね。

今年はどこどこの高校の誰がって言う話が囁かれたり、そのシーズンの高校野球のアイドルが生まれたり。

ミスター甲子園みたいな感じの人が出たり。

物心ついた時から甲子園高校野球を夏にするのは当たり前でしたが、由来始まりは知らないままでした。

どうしてものすごく暑い関西の甲子園で日本中の球児が集まってするのですかね?

おそらくですけど、震災のあった年もありましたよね?

そこまでこだわる甲子園

不思議になってきました。

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高校野球の始まり

1915年(大正4年)全国中学校優勝野球大会が豊中球場で行われる。

大会が始まった1915年(大正4年)は第一次世界大戦が始まった翌年に当たります。

当時の写真を見ると、殆どの人がまだ着物を着ており、庶民がスポーツを楽しむということはなかったようです。

ただ1912年(大正元年)に開催されたストックホルムオリンピックには日本から陸上長距離の金栗四三、短距離の三島弥彦の二人が初出場しており、シンプルに足の速さを競う陸上競技会は各地で行われていました。

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この頃から日本人は長距離が好きだったようで、1909年(明治42年)には神戸でマラソン大競争が行われました。

参加するだけで一苦労、秋田から大阪へ33時間の旅程

野球の早稲田と慶応の対抗戦、早慶戦が始まったのは1903年(明治36年)これは大変な人気を呼び、1914年には明治大学を加えた三大学でリーグ戦を開始。

その3年後には法政大学、更に4年後には立教大学、そして1925年には東京帝国大学(現東京大学)が加わり、東京六大学リーグ戦が始まりました。

こうしたリーグ戦が始まったのは早慶戦の人気もあっただろうし、いずれも都心にある大学で、移動の負担などの心配をせずに試合ができたからでしょう。

しかし、全国大会ではそうは行きません。

全国から出場校のメンバー全員が試合会場である大阪まで移動してこなければなりません。

第一回大会に出場した10校中最も遠くから参加したのは、秋田県の秋田中学(現 秋田高校)だた、当時の鉄道で秋田から東京までが約20時間、東京から大阪まで約13時間の計33時間かかったと言われる。

秋田中ナインがどのような旅程を組んだのかは不明だけれど、豊中球場まで2日はかかったのです。

また、初めて開催されるということで、大会の評価も定まっていませんでした。

大会として成功するのか?や回数を重ねていくかなどもわからなかったのです。

そのため、大会が始まった当初は、「野球をやるためにわざわざ大阪まで行くなんて許されない」と親の怒りを買い、参加を断念した球児も居たそうです。

そんなこともあって「全国大会」とはいえ、第1回大会の地区予選は、北海道と北陸からの参加はゼロ、。

他にも参加しない県は多く、予選に参加したのは18都道府県の73校に過ぎなかったのです。

しかし、回を重ねるごとに人気は高まり、第3回大会から会場になった、兵庫県の鳴尾球場では、観客が収まりきらないほどになりました。

そこで主催の大阪朝日新聞は、阪神電鉄に働きかけて、5万人収容の甲子園球場を建設

第10回大会から甲子園で試合を行うことになりました。

それが、日本全国野球熱を盛り上げ、多くの名選手を育て、ひいてはプロ野球や社会人、大学野球などアマチュア野球の隆盛にもつながっていきました。

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甲子園の由来・語源

「甲子園」という名前の由来は、甲子園球場が完成した年と関係があります。

甲子園球場が完成したのは1924年8月1日(大正13年)、この年は十干(じっかん、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の順列で、暦表示などに用いられる。)と十二支のそれぞれ最初に当たる「甲(きのえ)」と「子(ね)」が60年ぶりに重なる「甲子(きのえね)」となっていました。

これが、縁起の良いことだとして、その周辺の地域の名称を「甲子園」、球場名を「甲子園球場」(当時は甲子園大運動場)と命名しました。

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