プロレスとは【始まりは・由来は】外国から来たのか?




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プロレスとはですね~大ブームのころ、子供の敵でしたね!

8時だよ!の裏番組で、いつも父とチャンネル争い。

負けますよねぇ~当時ビデオも無いし。

ほんと・・・泣けます。

とか言いながら見てたんですがね。

プロレスって由来はやっぱりレスリングでしょ?そのプロ?

っていうにはルールがものすごく違いますよね。

いつ頃始まったのでしょうか?

どこで始まったのでしょう?

みんなが修業に行くメキシコ辺り?

プロレスとは!なんだかな~~~~?

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プロレスの起源

キャッチ・アズ・キャッチ・キャン

その起源はイギリスのランカシャー地方のランカシャーレスリング(キャッチ・アズ・キャッチ・キャン)にあると言われている。

アマチュアレスリングのグレコローマンスタイルを賞金マッチで行ったものがアメリカで行われていた記録もあり、もう一つのプロレスのルーツとなっている。

19世紀の初めごろにボクシングとともにイギリスで興行が開始されている。

有名な「プライズ・フィルター」(現在のボクサー)ジェームス・フィグはベアナックル、(素手)、蹴り技、投げ技、絞め技、噛み付き、目つぶし、髪の毛つかみのある当時のボクシングのほか、レスリングも得意であった。

1830年代にはアメリカにレスリング勝者に懸賞金が与えられるという興行が伝えられ、エイブラハム・リンカーンも行っていた。

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キャッチ・アズ・キャッチ・キャンんとグレコローマンのミックスマッチ(3本勝負で混ぜる)や更に腰から下へのキックを認めるというような変則的なルールが各地、各試合ごとに行われていた。

現在のプロレスに直接つながっているのは、19世紀後半のアメリカに広まったカーニバル・レスリングとされる。

カーニバル・レスリングは”athletic show”あるいは短く”at show”と呼ばれた、いわゆるサーカスの出し物の一つとして行われ、その中では、レスラーは観客の挑戦を受けて試合(いわゆる”all comers”)をしたりレスラー同士、あるいはボクサーとの模範試合を披露していた。

19世紀末まではレスリングのみのショーは試合数が限られていたため、レスリングを職業として生活するためには、このようなカーニバル・レスリングに参加するか、一人で旅芸人として巡業する必要があった。

大仁田厚は自身が設立したFMWへの非難に対して「プロレスの起源はサーカスの見世物」と反論して大仁田とは対照的な政党はルー・テーズも、自伝においてカーニバル・レスリングをプロレスの起源とする考えはアメリカでは一般的であり、kayfabe(ケーフェイ)、maek(マーク)、boy(プロレスラー)、bump(受け身)といったプロレスの隠語も、カーニバル・レスリングで用いられた言葉とされる。

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一方、日本のプロレス研究家、あるいは、マーク向けライターはカーニバル・レスリングをプロレスの起源とすることに否定的である。

例えば日本において出版されたルー・テーズの自伝では、前述のプロレスの起源に関する記述はない。

これは”at show”の内容が非常に娯楽食が強く、プロレスを真剣勝負として紹介している人たちのビジネスに都合が悪いためと思われる。

1880年代に人気レスラーであり、警察官でもあった、ウィリアム・マルドゥーンが警察を退職、専業と言う意味で最初のプロレスラーとなった。

マルドゥーンは劇場などの常設施設で行われるレスリング・ショーの発展に努力して後に「アメリカン・レスリングの父」とも呼ばれるようになる。

1890年代にはカーニバル・レスリング出身のマーティン・ファーマー・バーンズがイバン・ストラングラー・ルイス、トム・ジェンキンスらとの試合で人気を集めた。

その後バーンズはフランク・ゴッチをはじめとする多くのレスラーをそだてレスリングの通信教育も行った。

バーンズもまた「アメリカン・レスリングの父」と呼ばれる。

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20世紀に入ると、ジョージ・ハッケンシュミット、スタニスラウス・ズビスコといったヨーロッパの強豪レスラーがアメリカを訪れ、トム・ジェンキンス、フランク・ゴッチ、アドルフ・エルンスト(のちのアド・サンテル)らアメリカのプロレスラーと対戦して、レスリング・ショーを盛り上げた。

1910年代よりアメリカの人口は都市に集中し始め、その結果、町から町へ渡り歩く”at show”は下火となった。

代わりに劇場などで行われるレスリング・ショーが増えてレスラーは都市を中心としたテリトリー内を巡業するようになった。

このことはレスラー間のつながりを強めて事前に試合内容を調整することを容易にした。

1920年代になるとエド・ルイス、トーツ・モント、ビリー・サンドウ(通称「ゴールドダストトリオ」)が数百名のレスラーを配下にして、プロレスラー同士で架空のストーリー(最もわかりやすいのは「善玉」と「悪玉」の闘い)演じさせた。

また、従来の試合では基本的に1回のショーでは1試合だけを行っていた。

プロレスラーにほとんど動きがないまま1時間以上経過するようなことも珍しくなかったためである。

これを改め事前に様々な調整することにより、複数の試合からなる興行を行った。

これらによりプロレスの人気は高まったが、一方で報道、賭博など社会的な場においてプロレスが普通の意味でのスポーツとして扱われる機会は激減。

1920年代にはプロレス・ショーの仕組みは完成してメキシコ、日本、カナダなどにも伝わる。

なおメキシコのプロレスはルチャリブレと呼ばれる。

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